頑張らない体験断念記
頑張っていない私の自由な生活の記録を残すつもりで始めたブログですが、頑張らないことが無理な状況になってしまいました。従って、前タイトル「頑張らない体験記」から「頑張らない体験断念記」にタイトルを変更し、とりあえず日常を綴ることにしました。
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2019.05.30
1週間前の5月23日の木曜日。
叔母の家と祖母の家に言ってほしいと母に頼まれていました。
しかし前日の夜から布団を被っても寒かったり少し気持ち悪かったりしていました。
そのことを当日の朝に母に伝えていたのですが、午後に仕事から帰ってきた母に私の車で行くつもりで帰ってきたと言われました。
私はそれでも辛いと伝え、母も行かなくていいと言ってくれたのですが、そう言いながら母が何か一人でグチグチ言っていたので、結局行くことにしました。
まず叔母の家に行って、そのあと叔母と母が2人で祖母のところに行くことに。
私は休んでていいとのことで叔母の家で横になりながらお留守番をしていました。
祖母のところから帰ってきた母と叔母が夕飯どうするかと話し始めました。
正直私はもう帰りたかったのですが、叔母の前ではなんだか申し訳ない気持ちになって言えずに車で10分ほどのところのファミレスに行くことになりました。
食事はいつも通りな感じで始まりましたが、その終盤。
突然お腹が痛くなり始めてもう少しの量ではありましたが食べきれなくなりました。
そして御手洗に行こうと立ち上がったところで軽くフラつき気持ち悪くなりました。
なんとか御手洗に到着し、腹痛と格闘。
お腹を壊すでもなくただただ痛みだけ。
大量の汗が流れてきました。
痛みが治まる気配はありませんでしたが、少し動けそうになった所で席に戻りました。
そして車の後部座席で横になってくると母と叔母に伝えて一度お店を出ました。
少し良くなった頃に店内に戻ってもう一度御手洗に行ったのですが、また汗だけかいて特に何も起こりませんでした。
お店にいても落ち着かなかったので、もう帰ろうと叔母と母に言って叔母の家に戻ることにしました。
母がお会計をしている間にもう一度御手洗に行くと、ここでやっとお腹を壊しました。
お腹を一度壊せば少しは楽になると思って安心しながら叔母の家へ。
叔母の家で休ませてもらってから帰宅することにしました。
その間も腹痛はあったのですが、何度も御手洗に駆け込むというほどではありませんでした。
1時間に1度の御手洗のペースになったぐらいで帰宅しました。
帰宅中は突然御手洗に行きたくなるようなこともなく無事にできました。
夜、眠りにつこうと横になるのですが、激しい腹痛が1時間に1、2回。
叔母の家にいた時からですが、大腸の中は空になっていたようで血液のみが出てくるようになっていました。
下血です。
人生初下血です。
激しい痛みの後は必ず下血がありました。
そんなこんなで夜は眠れず。
腸を刺激しないように24日の金曜日は食事はせずにお茶とお湯のみを口にしました。
下血はそんなに長く続かずに、その日の夜にはなくなりました。
それでも腹痛だけは残りました。
だいたい15分に1度のペース。
この日も眠れません。
どんな体勢をとっても痛みは和らぐことはなく、ただただ耐えるのみ。
翌日25日のお昼頃に腹痛の頻度は少なくなってきて、そこで少し長めに眠ることができました。
その日の夜にお粥を食べてみました。
前日食事をせず、この日も朝から食事はしていなかったのですが、不思議と全く空腹になることはありませんでした。
それでも胃に少し何か入れておこうと白粥を。
食べても胃腸に何も問題は起きませんでした。
お腹の痛みはあるものの少し眠れるようになって26日。
この日も夜にお粥を食べたのみ。
相変わらず空腹にならない不思議。
腹痛はまだあり。
27日。
朝に牛乳を飲んでみました。
問題はありませんでした。
夜は外食で2色丼を食べてみました。
大丈夫でした。
28日。
普通睡眠もとれるし食事もできる状態でしたがまだ腹痛が残っていました。
そして29日。
とうとう腹痛から解放されました。
母は並外れた元気人間なので私の疲れとか調子悪いという状態が理解できないみたいで、今後はより強く断る時は断らないといけないと思いました。
健康のため、社会復帰のためにも。
叔母の家と祖母の家に言ってほしいと母に頼まれていました。
しかし前日の夜から布団を被っても寒かったり少し気持ち悪かったりしていました。
そのことを当日の朝に母に伝えていたのですが、午後に仕事から帰ってきた母に私の車で行くつもりで帰ってきたと言われました。
私はそれでも辛いと伝え、母も行かなくていいと言ってくれたのですが、そう言いながら母が何か一人でグチグチ言っていたので、結局行くことにしました。
まず叔母の家に行って、そのあと叔母と母が2人で祖母のところに行くことに。
私は休んでていいとのことで叔母の家で横になりながらお留守番をしていました。
祖母のところから帰ってきた母と叔母が夕飯どうするかと話し始めました。
正直私はもう帰りたかったのですが、叔母の前ではなんだか申し訳ない気持ちになって言えずに車で10分ほどのところのファミレスに行くことになりました。
食事はいつも通りな感じで始まりましたが、その終盤。
突然お腹が痛くなり始めてもう少しの量ではありましたが食べきれなくなりました。
そして御手洗に行こうと立ち上がったところで軽くフラつき気持ち悪くなりました。
なんとか御手洗に到着し、腹痛と格闘。
お腹を壊すでもなくただただ痛みだけ。
大量の汗が流れてきました。
痛みが治まる気配はありませんでしたが、少し動けそうになった所で席に戻りました。
そして車の後部座席で横になってくると母と叔母に伝えて一度お店を出ました。
少し良くなった頃に店内に戻ってもう一度御手洗に行ったのですが、また汗だけかいて特に何も起こりませんでした。
お店にいても落ち着かなかったので、もう帰ろうと叔母と母に言って叔母の家に戻ることにしました。
母がお会計をしている間にもう一度御手洗に行くと、ここでやっとお腹を壊しました。
お腹を一度壊せば少しは楽になると思って安心しながら叔母の家へ。
叔母の家で休ませてもらってから帰宅することにしました。
その間も腹痛はあったのですが、何度も御手洗に駆け込むというほどではありませんでした。
1時間に1度の御手洗のペースになったぐらいで帰宅しました。
帰宅中は突然御手洗に行きたくなるようなこともなく無事にできました。
夜、眠りにつこうと横になるのですが、激しい腹痛が1時間に1、2回。
叔母の家にいた時からですが、大腸の中は空になっていたようで血液のみが出てくるようになっていました。
下血です。
人生初下血です。
激しい痛みの後は必ず下血がありました。
そんなこんなで夜は眠れず。
腸を刺激しないように24日の金曜日は食事はせずにお茶とお湯のみを口にしました。
下血はそんなに長く続かずに、その日の夜にはなくなりました。
それでも腹痛だけは残りました。
だいたい15分に1度のペース。
この日も眠れません。
どんな体勢をとっても痛みは和らぐことはなく、ただただ耐えるのみ。
翌日25日のお昼頃に腹痛の頻度は少なくなってきて、そこで少し長めに眠ることができました。
その日の夜にお粥を食べてみました。
前日食事をせず、この日も朝から食事はしていなかったのですが、不思議と全く空腹になることはありませんでした。
それでも胃に少し何か入れておこうと白粥を。
食べても胃腸に何も問題は起きませんでした。
お腹の痛みはあるものの少し眠れるようになって26日。
この日も夜にお粥を食べたのみ。
相変わらず空腹にならない不思議。
腹痛はまだあり。
27日。
朝に牛乳を飲んでみました。
問題はありませんでした。
夜は外食で2色丼を食べてみました。
大丈夫でした。
28日。
普通睡眠もとれるし食事もできる状態でしたがまだ腹痛が残っていました。
そして29日。
とうとう腹痛から解放されました。
母は並外れた元気人間なので私の疲れとか調子悪いという状態が理解できないみたいで、今後はより強く断る時は断らないといけないと思いました。
健康のため、社会復帰のためにも。
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コメント
御自愛くださいね!
Re: 御自愛くださいね!
えいしんさん、こんばんは。
暖かいお言葉ありがとうございます。
病院に行く体力もなければ待合室で待っていられる自信もなくて行かないでいたら症状が治まったので行っていないままです。
ちゃんと病院で診てもらった方がいいことはわかっているのですが。
病院は元気がないから行くところなのに元気がなくて行けないというのはなんともです。
暖かいお言葉ありがとうございます。
病院に行く体力もなければ待合室で待っていられる自信もなくて行かないでいたら症状が治まったので行っていないままです。
ちゃんと病院で診てもらった方がいいことはわかっているのですが。
病院は元気がないから行くところなのに元気がなくて行けないというのはなんともです。
コメントの投稿
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お体、「御自愛くださいね!」。
無理しないでくださいね。
でも、お医者様に診てもらったのでしょうか?
やはり、自然治癒も大事ですが、専門家に
診てもらうのが良いと、思います。
私も、右手がしびれて、全く動かなくなって、
でも、日に日に動くようにはなったのですが、やはり
専門家(かかりつけの内科医)に診てもらい
ました。これ、大事ですよ!
それでは、お疲れさまでした。