頑張らない体験断念記
頑張っていない私の自由な生活の記録を残すつもりで始めたブログですが、頑張らないことが無理な状況になってしまいました。従って、前タイトル「頑張らない体験記」から「頑張らない体験断念記」にタイトルを変更し、とりあえず日常を綴ることにしました。
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2019.05.18
ブログのタイトルを変えました。
一年以上にわたり頑張っていない生活の記録と嘘をつき続けた形になってしまっていたので、ここにきて訂正致した次第です。
今週の月曜日あたりから喉がイガイガしています。
近頃気温差の激しい日々が続いたことに加えて疲労が溜まっていたこともあって少し体調を崩してしまったようです。
今溜まっている疲労は遡ること元号が変わる10日程前のこと。
どこかの職場で平成最後のアルバイターになろうと思い立ちました。
ちょうど良さそうなところが見つかりネットで応募。
数回電話でのやり取りがあった後に面接。
面接はしばらく暖かい日が続いてからの寒の戻りで寒い日でした。
和やかに面接は終わって現場見学もさせていただきました。
最後に働くかどうか決まったら4月30日までに連絡をくださいと言われました。
帰宅途中の車の中で腹痛に襲われました。
寒さで身体が冷えたみたいです。
しかしお腹を壊すことはありませんでした。
ただただ痛いだけ。
ホッカイロを腹部に貼って布団にくるまっていたら良くなりました。
翌日、体調が優れませんでした。
しかし連絡をしないと。
辞退の連絡をしないと。
そう、アルバイトを辞退したのです。
時給も時間帯も場所も仕事の内容も良かったのです。
ただ一点、交通費の支給がないというところがネックとなって辞退することになったのです。
週3日働くとして、ざっと交通費を計算してみると年間で2万円程。
働く日数を増やせばその分交通費も増えます。
なかなか見逃せる金額だとは思えませんでした。
ちなみに交通費については面接の時に聞くまではどこにも掲載がなくてわからなかったのです。
辞退の連絡をした時には元号が変わるまで一週間を切っていました。
更に体調も崩していたので平成最後のアルバイターになることはここで断念しました。
頑張って電話で辞退を伝えてからは少しぼーっとしてふらついた感覚でした。
そんな状態の私を後目に母がホットカーペットを取り替え始めました。
4月の初め頃にホットカーペットが電源を入れてもつかなくなったので、新しく買ったのです。
買ってからしばらく放置されていたのですが、また寒くなってきたのを機に取り替えることにしたみたいです。
母が一人で始めたのはいいのですが、見ていられないところが多々。
体調が悪いと思いながらも手伝うことに。
半袖半ズボンに着替えての作業でした。
クタクタになりました。
それから2日ぐらいはぐったり。
そして平成最後の日。
まだ軽く不調でしたが、ゴールデンウィークでうちに帰ってきていた一人暮らしの弟を弟の一人暮らしの家まで車で送ることに。
ゴールデンウィーク中ということもあって下りは渋滞がおきていましたが、それほど天気の良い日ではなかったのでまだマシだったと思います。
家を出てから3時間半程で帰宅。
長い旅でした。
その日の夕方に母が洗濯物が乾いていないと困り顔。
なのでコインランドリーに乾燥に行ってきました。
私の平成最後の大仕事はコインランドリーで乾燥になりました。
翌日はまたぐったり。
その翌日も疲れは取れていなかったのですが、母がハンガーラックを作り始めました。
両親の部屋のハンガーラックが壊れたとのことで、新しく買ったみたいです。
それもしばらく放置されていたのですが、この日に作り始めました。
一人で作ると言うのでしばらく放っておいたのですが、やはり見ていられず。
追い打ちをかけるように母から衝撃の一言。
「もう1つあるんだよね。」
手伝うことにしました。
1つ目はあと少しのところまで来ていたようで私が手伝ってからはわりとすぐに完成。
と思いきや、余っている部品が2種類。
1種類は余っても良かったのですが、もう一種類は取り付け忘れ。
ということで一部解体して取り付けました。
説明書を見ながら作ったはずの母、なぜ忘れたのか。
2つ目はわりとすぐに完成。
だけどこのハンガーラックの謳い文句、誰でも簡単に作れますというのは訂正すべきだと思いました。
片つけから何からがっつり協力してまたもやクタクタ。
ゴールデンウィークが明けた5月7日。
母が叔母と九州に旅行に行くととのことで羽田空港まで車を出しました。
頼まれたわけではなかったのですが、前日からよく眠れなくて早朝起きていたので送ることにしました。
朝5時半に出発。
そして9時過ぎに帰宅。
翌日は家中掃除機をかけて、しばらくしたら睡魔に襲われ眠ってしまいました。
目を覚ますと20時。
9時間程眠っていました。
母は旅行中に洗濯物は洗わなくてもいいと言っていたのですが、洗濯機の中は結構いっぱいになっていました。
目を覚まして入浴して髪を乾かして21時過ぎ。
時間も時間なのでまたしてもコインランドリーへ。
洗濯と乾燥を済ませて帰宅しました。
翌日、母と叔母が帰ってくる日。
昼頃母から電話がありました。
それは迎えに来てほしいという内容ではなかったのですが、私がお土産とかで荷物がいっぱいで大変だったらどこか駅とかまで迎えに行くから必要だったら言ってと伝えました。
その電話から1時間後、また母から電話がありました。
迎えに来て欲しいと。
どこまでか聞いたらまさかの羽田空港。
もっと遠慮してくれると思っていた私が甘かったです。
自宅から羽田空港、そして叔母の家まで行って自宅へのルート。
160㎞は運転したと思います。
それから今日までも自分の用では心療内科があり、他にも母と出かけたりしたのですが、何で出かけたのかはよく覚えていません。
今週の月曜日にJCOMの人が来てなんかいろいろやっていたのに朝から立ち会ったのは覚えています。
母はパソコンやらタブレットのことはよく分からないとのことで部屋に戻らせてくれなかったのです。
最近の事ほど記憶が薄れているのですが、元気いっぱいに復活する前に疲れるような何かがあったような気がします。
いつの何が原因で喉がイガイガしたのかは考えてももはやわかりません。
一昨日の夜と昨日の朝にホットミルクに蜂蜜を入れて飲んでみました。
そしたら喉のイガイガが軽減されました。
一年以上にわたり頑張っていない生活の記録と嘘をつき続けた形になってしまっていたので、ここにきて訂正致した次第です。
今週の月曜日あたりから喉がイガイガしています。
近頃気温差の激しい日々が続いたことに加えて疲労が溜まっていたこともあって少し体調を崩してしまったようです。
今溜まっている疲労は遡ること元号が変わる10日程前のこと。
どこかの職場で平成最後のアルバイターになろうと思い立ちました。
ちょうど良さそうなところが見つかりネットで応募。
数回電話でのやり取りがあった後に面接。
面接はしばらく暖かい日が続いてからの寒の戻りで寒い日でした。
和やかに面接は終わって現場見学もさせていただきました。
最後に働くかどうか決まったら4月30日までに連絡をくださいと言われました。
帰宅途中の車の中で腹痛に襲われました。
寒さで身体が冷えたみたいです。
しかしお腹を壊すことはありませんでした。
ただただ痛いだけ。
ホッカイロを腹部に貼って布団にくるまっていたら良くなりました。
翌日、体調が優れませんでした。
しかし連絡をしないと。
辞退の連絡をしないと。
そう、アルバイトを辞退したのです。
時給も時間帯も場所も仕事の内容も良かったのです。
ただ一点、交通費の支給がないというところがネックとなって辞退することになったのです。
週3日働くとして、ざっと交通費を計算してみると年間で2万円程。
働く日数を増やせばその分交通費も増えます。
なかなか見逃せる金額だとは思えませんでした。
ちなみに交通費については面接の時に聞くまではどこにも掲載がなくてわからなかったのです。
辞退の連絡をした時には元号が変わるまで一週間を切っていました。
更に体調も崩していたので平成最後のアルバイターになることはここで断念しました。
頑張って電話で辞退を伝えてからは少しぼーっとしてふらついた感覚でした。
そんな状態の私を後目に母がホットカーペットを取り替え始めました。
4月の初め頃にホットカーペットが電源を入れてもつかなくなったので、新しく買ったのです。
買ってからしばらく放置されていたのですが、また寒くなってきたのを機に取り替えることにしたみたいです。
母が一人で始めたのはいいのですが、見ていられないところが多々。
体調が悪いと思いながらも手伝うことに。
半袖半ズボンに着替えての作業でした。
クタクタになりました。
それから2日ぐらいはぐったり。
そして平成最後の日。
まだ軽く不調でしたが、ゴールデンウィークでうちに帰ってきていた一人暮らしの弟を弟の一人暮らしの家まで車で送ることに。
ゴールデンウィーク中ということもあって下りは渋滞がおきていましたが、それほど天気の良い日ではなかったのでまだマシだったと思います。
家を出てから3時間半程で帰宅。
長い旅でした。
その日の夕方に母が洗濯物が乾いていないと困り顔。
なのでコインランドリーに乾燥に行ってきました。
私の平成最後の大仕事はコインランドリーで乾燥になりました。
翌日はまたぐったり。
その翌日も疲れは取れていなかったのですが、母がハンガーラックを作り始めました。
両親の部屋のハンガーラックが壊れたとのことで、新しく買ったみたいです。
それもしばらく放置されていたのですが、この日に作り始めました。
一人で作ると言うのでしばらく放っておいたのですが、やはり見ていられず。
追い打ちをかけるように母から衝撃の一言。
「もう1つあるんだよね。」
手伝うことにしました。
1つ目はあと少しのところまで来ていたようで私が手伝ってからはわりとすぐに完成。
と思いきや、余っている部品が2種類。
1種類は余っても良かったのですが、もう一種類は取り付け忘れ。
ということで一部解体して取り付けました。
説明書を見ながら作ったはずの母、なぜ忘れたのか。
2つ目はわりとすぐに完成。
だけどこのハンガーラックの謳い文句、誰でも簡単に作れますというのは訂正すべきだと思いました。
片つけから何からがっつり協力してまたもやクタクタ。
ゴールデンウィークが明けた5月7日。
母が叔母と九州に旅行に行くととのことで羽田空港まで車を出しました。
頼まれたわけではなかったのですが、前日からよく眠れなくて早朝起きていたので送ることにしました。
朝5時半に出発。
そして9時過ぎに帰宅。
翌日は家中掃除機をかけて、しばらくしたら睡魔に襲われ眠ってしまいました。
目を覚ますと20時。
9時間程眠っていました。
母は旅行中に洗濯物は洗わなくてもいいと言っていたのですが、洗濯機の中は結構いっぱいになっていました。
目を覚まして入浴して髪を乾かして21時過ぎ。
時間も時間なのでまたしてもコインランドリーへ。
洗濯と乾燥を済ませて帰宅しました。
翌日、母と叔母が帰ってくる日。
昼頃母から電話がありました。
それは迎えに来てほしいという内容ではなかったのですが、私がお土産とかで荷物がいっぱいで大変だったらどこか駅とかまで迎えに行くから必要だったら言ってと伝えました。
その電話から1時間後、また母から電話がありました。
迎えに来て欲しいと。
どこまでか聞いたらまさかの羽田空港。
もっと遠慮してくれると思っていた私が甘かったです。
自宅から羽田空港、そして叔母の家まで行って自宅へのルート。
160㎞は運転したと思います。
それから今日までも自分の用では心療内科があり、他にも母と出かけたりしたのですが、何で出かけたのかはよく覚えていません。
今週の月曜日にJCOMの人が来てなんかいろいろやっていたのに朝から立ち会ったのは覚えています。
母はパソコンやらタブレットのことはよく分からないとのことで部屋に戻らせてくれなかったのです。
最近の事ほど記憶が薄れているのですが、元気いっぱいに復活する前に疲れるような何かがあったような気がします。
いつの何が原因で喉がイガイガしたのかは考えてももはやわかりません。
一昨日の夜と昨日の朝にホットミルクに蜂蜜を入れて飲んでみました。
そしたら喉のイガイガが軽減されました。
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コメント
まさに、「頑張らない体験断念記」ですね!
Re: まさに、「頑張らない体験断念記」ですね!
えいしんさん、こんばんは。
私が巻き込まれ体質というか母が巻き込み型人間というか。
母は遠慮なくなんでも頼んでくるのでなんでも請け負っていると疲れ果てます。
気をつけて自分のペースで生活できるようにしたいと思います。
私が巻き込まれ体質というか母が巻き込み型人間というか。
母は遠慮なくなんでも頼んでくるのでなんでも請け負っていると疲れ果てます。
気をつけて自分のペースで生活できるようにしたいと思います。
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普通に、「大変な日常」ですね!
話をお聞きしただけで、「疲労困憊」です。
でも、これって、ご本人のせいではなく、周囲の
環境が「ど~にも、やばい!」感じですね。
「巻き込まれ体質」とう説も。。。
でも、やっぱり、一番大切なご自身を、「大事に!」
それでは、お疲れさまでした。