頑張らない体験断念記
頑張っていない私の自由な生活の記録を残すつもりで始めたブログですが、頑張らないことが無理な状況になってしまいました。従って、前タイトル「頑張らない体験記」から「頑張らない体験断念記」にタイトルを変更し、とりあえず日常を綴ることにしました。
2019.03.30
頑張らない体験記とブログにタイトルをつけたわけですが、9月頃から頑張らないでいられなくなっていました。
9月に祖母が救急車で運ばれたとの連絡があり、それからというもの母が祖母と叔母が2人で住む家に週に5、6日通うようになりました。
泊まってくることも増えました。
祖母の家までは我が家から遠く、最初のうちは私が車を出すことも多くありました。
私は徐々に疲れが溜まっていき、10月頃からは頻度をだいぶ減らすようにしました。
母には大変だけど、バスと電車で行ってもらうことにして。
昼食と夕食は私も父もそれぞれ自分達でどうにかする日々でした。
私は面倒だったのでだいたい1食しかとっていませんでした。
精神的な不安やストレスであまり食べる気もおきなかったのです。
そんな感じの日々が今年の1月後半ぐらいまで続きました。
その1月後半に、祖母を施設に入れることができたのです。
祖母は数年前から認知症を患っていました。
私の母は早いところ施設に入れようと言っていたのですが、母の妹二人がそれでは祖母が可哀想だとなかなか賛同してくれていませんでした。
しかし祖母が救急車で運ばれて検査して、この先いつ亡くなってもおかしくないと医師に言われたことを期に母の妹達も賛同してくれるようになりました。
祖母は右の頸動脈の一部がかなり狭くなっていたのです。
ちなみに救急車で運ばれた原因はそれとは関係ありませんでした。
医師が言うには、急に明日亡くなるかもしれないし、この先何年も大丈夫かもしれないしわからないと。
そんな状態では祖母と一緒に暮らしている叔母が常に不安で怖いだろうと思いました。
翌朝祖母が起きてこなかったらと思うと夜も眠れないだろうなと。
なので24時間様子を確認してもらえる施設に入れた方が安心できるし、祖母もそれで助かることがあるかもしれないなど理由はいろいろですが、そんなこんなで施設を探し始め、なんとか1月に入居できたのです。
祖母が可哀想という気持ちもわかるし、祖母だってできれば住み慣れた家で身内と一緒にいたいだろうと思うのです。
それでもその情だけではどうにも対応しきれないことが多すぎるのです。
自分の意思でなく施設に入れられる方々は皆さん嫌がるそうです。
ケアマネージャーの方がそう話していたそうです。
でもだんだん慣れてくるとも言っていました。
祖母には施設のことを施設に入れる前日の夜に母が話しました。
話を聞いた祖母が抵抗したり睨めつけたりという行動があると母は思っていたそうなのですが、実際には「そうかい。じゃあここにはもう住めないんだね。」と力なく言っただけだったとのことでした。
話を終えてから母は私に電話でそのことを伝え、泣きながら「これで良かったんだよね?」と聞いてきました。
母が叔母に祖母の反応を伝えた時に叔母も泣いたみたいです。
それもあってなんだかものすごく悪いことをしたような気持ちに母はなったのだと思います。
そんなこんなで母はその日は祖母の家に泊まり、翌日お昼を祖母と一緒に食べてから祖母を施設に入居させて帰ってきました。
祖母は施設に入居することをよくわかっていなかったようで、なかなかに大変だったそうです。
認知症なので、前日母が話したことをもう忘れていたのです。
それから1週間程経った頃に、再び祖母が救急車で運ばれました。
脳梗塞で緊急手術。
それは母と叔母が祖母のいる施設に会いに行ったその帰りのことでした。
母がちょうど自宅に帰ろうという頃合に施設から連絡が来たんだとか。
祖母は施設に入ってからあまり食事をしなかったそうです。
施設に入れられた人の中には家に帰りたいとの抵抗のために食事をしないという行動をとる人もいると聞いていた母と叔母は祖母が食事をしないのを抵抗のためだと思っていました。
しかし祖母は自分がどこにいる状態かもよくわかっていなかったみたいだし、一度私も救急車で運ばれる前に施設にいる祖母のところに行ったのですが、わりと穏やかだったので抵抗のために食事を拒んでいるようには少し考えづらかったのです。
なので母に本当に抵抗なのかと問いかけてみたこともあるのですが、間違いないと言わんばかりの自信で否定されました。
手術は無事に終わってしばらく入院の後にまた施設に戻りました。
それからは食事もちゃんとするようになったそうです。
医師が言うには、脳梗塞の影響で食欲もなかったとのことでした。
それにしても今回の脳梗塞、施設の方が祖母の様子がおかしいことに気づいてくれたことで助かったと思うとやはり施設に入れてよかったなとみんなで思いました。
当の本人の祖母は脳梗塞で手術したことも入院していたことも何も覚えていないようです。
施設に会いに行けば毎回「いつ帰れるの?」と聞くそうです。
介護に関する事柄が社会問題となっていますが、今回の一連のことからこれはかなり深刻な問題なのだと実感しました。
祖母の場合は暴れたりいなくなってしまったりということはなかったのですが、それでも大変でした。
テレビ等でも介護うつにならないためには周りの人に頼りましょうというようなことを言っていたりしますが、全くその通りだと思います。
他人に任せてしまうなんて自分はひどいことをしているとか親に申し訳ないとか思わなくて良いと思います。
施設に入れるのは可哀想と頑張ってしまっている叔母を見てそう思いました。
叔母には叔母の人生を生きてほしいと。
施設に入れることは捨てることではないし、悪いことではないのです。
施設に入れたってたまに元の家で過ごすことだってできるのですから。
1人で頑張って介護をしている方がいたら、どこかに相談してみるか介護経験者の話を聞いてみるのが良いと思います。
今はそういった介護に関するコミュニティもあるみたいで、そこに行くようになってから気が楽になったという方もいるみたいです。
話はこのブログについてになるのですが、頑張らない体験ができずにいて、今後もそれが難しくなりそうなのです。
なのでもう頑張らない体験記という名で続けていくことはやめようと思っています。
ブログ自体をやめるか、タイトルを変えて適当に思ったことを書くか。
多分やめるかな。
ここ1年程、生活がゴタゴタしていたこともあって気付けば仕事を辞めてまる3年が過ぎてしまっていました。
仕事もアルバイトやパートで探そうと思っていて、それも近々できたらなぁと。
先月心療内科でのお薬が増えてしまって、それから副作用で眠たいことが多くてやっと生活が落ち着いたのに何もできないでいます。
今月の心療内科の時にそのことを先生に話したのですが、もう少しゆっくりした方が良いと言われまた来月までは眠たいことが多そうです。
だけど次々と親戚に何かがおこっていた昨今のことを考えると、このタイミングを逃したくないとも思うわけです。
8月上旬に駐車場に停めていた車をぶつけられてゴタゴタしたり、昼食直前の真昼間の太陽の下で現場に行って話を聞いてそれからいろんな対応で体力も時間も奪われてようやく落ち着いた8月の下旬に仕事を探し始めて目星をつけた所での祖母の救急車の一件。
そうして逃した仕事のタイミングのことを考えると焦る気持ちも出てしまいます。
このブログはしばらくとっておきます。
気まぐれで何か書くかもしれないし、消えるかもしれません。
9月に祖母が救急車で運ばれたとの連絡があり、それからというもの母が祖母と叔母が2人で住む家に週に5、6日通うようになりました。
泊まってくることも増えました。
祖母の家までは我が家から遠く、最初のうちは私が車を出すことも多くありました。
私は徐々に疲れが溜まっていき、10月頃からは頻度をだいぶ減らすようにしました。
母には大変だけど、バスと電車で行ってもらうことにして。
昼食と夕食は私も父もそれぞれ自分達でどうにかする日々でした。
私は面倒だったのでだいたい1食しかとっていませんでした。
精神的な不安やストレスであまり食べる気もおきなかったのです。
そんな感じの日々が今年の1月後半ぐらいまで続きました。
その1月後半に、祖母を施設に入れることができたのです。
祖母は数年前から認知症を患っていました。
私の母は早いところ施設に入れようと言っていたのですが、母の妹二人がそれでは祖母が可哀想だとなかなか賛同してくれていませんでした。
しかし祖母が救急車で運ばれて検査して、この先いつ亡くなってもおかしくないと医師に言われたことを期に母の妹達も賛同してくれるようになりました。
祖母は右の頸動脈の一部がかなり狭くなっていたのです。
ちなみに救急車で運ばれた原因はそれとは関係ありませんでした。
医師が言うには、急に明日亡くなるかもしれないし、この先何年も大丈夫かもしれないしわからないと。
そんな状態では祖母と一緒に暮らしている叔母が常に不安で怖いだろうと思いました。
翌朝祖母が起きてこなかったらと思うと夜も眠れないだろうなと。
なので24時間様子を確認してもらえる施設に入れた方が安心できるし、祖母もそれで助かることがあるかもしれないなど理由はいろいろですが、そんなこんなで施設を探し始め、なんとか1月に入居できたのです。
祖母が可哀想という気持ちもわかるし、祖母だってできれば住み慣れた家で身内と一緒にいたいだろうと思うのです。
それでもその情だけではどうにも対応しきれないことが多すぎるのです。
自分の意思でなく施設に入れられる方々は皆さん嫌がるそうです。
ケアマネージャーの方がそう話していたそうです。
でもだんだん慣れてくるとも言っていました。
祖母には施設のことを施設に入れる前日の夜に母が話しました。
話を聞いた祖母が抵抗したり睨めつけたりという行動があると母は思っていたそうなのですが、実際には「そうかい。じゃあここにはもう住めないんだね。」と力なく言っただけだったとのことでした。
話を終えてから母は私に電話でそのことを伝え、泣きながら「これで良かったんだよね?」と聞いてきました。
母が叔母に祖母の反応を伝えた時に叔母も泣いたみたいです。
それもあってなんだかものすごく悪いことをしたような気持ちに母はなったのだと思います。
そんなこんなで母はその日は祖母の家に泊まり、翌日お昼を祖母と一緒に食べてから祖母を施設に入居させて帰ってきました。
祖母は施設に入居することをよくわかっていなかったようで、なかなかに大変だったそうです。
認知症なので、前日母が話したことをもう忘れていたのです。
それから1週間程経った頃に、再び祖母が救急車で運ばれました。
脳梗塞で緊急手術。
それは母と叔母が祖母のいる施設に会いに行ったその帰りのことでした。
母がちょうど自宅に帰ろうという頃合に施設から連絡が来たんだとか。
祖母は施設に入ってからあまり食事をしなかったそうです。
施設に入れられた人の中には家に帰りたいとの抵抗のために食事をしないという行動をとる人もいると聞いていた母と叔母は祖母が食事をしないのを抵抗のためだと思っていました。
しかし祖母は自分がどこにいる状態かもよくわかっていなかったみたいだし、一度私も救急車で運ばれる前に施設にいる祖母のところに行ったのですが、わりと穏やかだったので抵抗のために食事を拒んでいるようには少し考えづらかったのです。
なので母に本当に抵抗なのかと問いかけてみたこともあるのですが、間違いないと言わんばかりの自信で否定されました。
手術は無事に終わってしばらく入院の後にまた施設に戻りました。
それからは食事もちゃんとするようになったそうです。
医師が言うには、脳梗塞の影響で食欲もなかったとのことでした。
それにしても今回の脳梗塞、施設の方が祖母の様子がおかしいことに気づいてくれたことで助かったと思うとやはり施設に入れてよかったなとみんなで思いました。
当の本人の祖母は脳梗塞で手術したことも入院していたことも何も覚えていないようです。
施設に会いに行けば毎回「いつ帰れるの?」と聞くそうです。
介護に関する事柄が社会問題となっていますが、今回の一連のことからこれはかなり深刻な問題なのだと実感しました。
祖母の場合は暴れたりいなくなってしまったりということはなかったのですが、それでも大変でした。
テレビ等でも介護うつにならないためには周りの人に頼りましょうというようなことを言っていたりしますが、全くその通りだと思います。
他人に任せてしまうなんて自分はひどいことをしているとか親に申し訳ないとか思わなくて良いと思います。
施設に入れるのは可哀想と頑張ってしまっている叔母を見てそう思いました。
叔母には叔母の人生を生きてほしいと。
施設に入れることは捨てることではないし、悪いことではないのです。
施設に入れたってたまに元の家で過ごすことだってできるのですから。
1人で頑張って介護をしている方がいたら、どこかに相談してみるか介護経験者の話を聞いてみるのが良いと思います。
今はそういった介護に関するコミュニティもあるみたいで、そこに行くようになってから気が楽になったという方もいるみたいです。
話はこのブログについてになるのですが、頑張らない体験ができずにいて、今後もそれが難しくなりそうなのです。
なのでもう頑張らない体験記という名で続けていくことはやめようと思っています。
ブログ自体をやめるか、タイトルを変えて適当に思ったことを書くか。
多分やめるかな。
ここ1年程、生活がゴタゴタしていたこともあって気付けば仕事を辞めてまる3年が過ぎてしまっていました。
仕事もアルバイトやパートで探そうと思っていて、それも近々できたらなぁと。
先月心療内科でのお薬が増えてしまって、それから副作用で眠たいことが多くてやっと生活が落ち着いたのに何もできないでいます。
今月の心療内科の時にそのことを先生に話したのですが、もう少しゆっくりした方が良いと言われまた来月までは眠たいことが多そうです。
だけど次々と親戚に何かがおこっていた昨今のことを考えると、このタイミングを逃したくないとも思うわけです。
8月上旬に駐車場に停めていた車をぶつけられてゴタゴタしたり、昼食直前の真昼間の太陽の下で現場に行って話を聞いてそれからいろんな対応で体力も時間も奪われてようやく落ち着いた8月の下旬に仕事を探し始めて目星をつけた所での祖母の救急車の一件。
そうして逃した仕事のタイミングのことを考えると焦る気持ちも出てしまいます。
このブログはしばらくとっておきます。
気まぐれで何か書くかもしれないし、消えるかもしれません。
2018.06.28
先日当たったらっきょう酢で漬けた紫玉ねぎはかつお節と醤油をかけて食べました。
それを父がえらく気に入ったようでパクパク食べていました。
生姜を漬けた方は今日の時点ではまだ漬かりが浅かったみたいなのですが、両親共に満足していました。
私は生姜が嫌いで食べていないのでわからないのですが。
らっきょう酢を欲しいと言ったのが母で応募したのが私、だけどらっきょう酢で漬けたものを1番嬉しそうに食べているのが父です。
私には少々戸惑っていることがあります。
最近いろんなものに応募したり宝くじをよく買ったりしているので高額、高価なものではないけれどもよく当たるようになりました。
そして今日買ったパズル雑誌。
名前が乗っていました。
長崎五黒カステラが当たりました。
さすがに当たる頻度が高すぎると思うのです。
自分に何が起きているのか。
それほど素晴らしい行いをした覚えもなければ風水だったりパワースポットだったりそういったことにも触れていません。
良いことが起こる前兆というのを調べてみましたが、該当する事柄に記憶がありません。
ちなみに今回当たったカステラはネットで調べたところ、3000円ぐらいするみたいです。
350gが2本の容量です。
最近当てたものの中では一番高価です。
それを父がえらく気に入ったようでパクパク食べていました。
生姜を漬けた方は今日の時点ではまだ漬かりが浅かったみたいなのですが、両親共に満足していました。
私は生姜が嫌いで食べていないのでわからないのですが。
らっきょう酢を欲しいと言ったのが母で応募したのが私、だけどらっきょう酢で漬けたものを1番嬉しそうに食べているのが父です。
私には少々戸惑っていることがあります。
最近いろんなものに応募したり宝くじをよく買ったりしているので高額、高価なものではないけれどもよく当たるようになりました。
そして今日買ったパズル雑誌。
名前が乗っていました。
長崎五黒カステラが当たりました。
さすがに当たる頻度が高すぎると思うのです。
自分に何が起きているのか。
それほど素晴らしい行いをした覚えもなければ風水だったりパワースポットだったりそういったことにも触れていません。
良いことが起こる前兆というのを調べてみましたが、該当する事柄に記憶がありません。
ちなみに今回当たったカステラはネットで調べたところ、3000円ぐらいするみたいです。
350gが2本の容量です。
最近当てたものの中では一番高価です。
2018.06.27
前回母にプレゼントした幸運のくーちゃんクジで2000円の当たりがあったとの話をして思い出しました。
ロト7の結果を見忘れていることを。
ブログの更新を終えてすぐに確認しました。
5週連続で買ったうちの4週目でした。
6等1100円が当たっていました。
今までにミニロトとロト6を2、3回ずつぐらい買ったことがあったのですが、かすりもしない外れっぷりでした。
なのでロトは向いてないなぁと思っていたのですが、なんとなくロト7を買ってみました。
1口300 円を5週分。
合計1500円です。
そして当選は1100円。
400円のマイナスです。
それでも私はすごく嬉しく感じました。
何しろ初めての当たりですから。
6月17日にテレビ神奈川の番組でらっきょうの特集をしていました。
母と一緒に見ていました。
番組の後半に料理のコーナーがありました。
らっきょうをらっきょう酢で漬けたり、漬けたらっきょうを使った料理をしたり、らっきょう酢を使ってらっきょう以外の物を使った料理を作ったりしていました。
コーナーの最後に、この料理に使ったのと同じらっきょう酢をプレゼントと言っていました。
母が欲しいから応募してと私に言ってきました。
だけど我が家でらっきょうを漬けてるのなんて見たことないし、家族の中で好んで食べるのは母だけだし、本当に欲しいのか疑わしく思いました。
なので2度程本当に欲しいのか念を押して母に聞きました。
母は聞く度に欲しいと揺るぎない気持ちで答えました。
仕方なく私は応募することにしました。
応募締切までの日数にあまり猶予がなかったので、その日の夜に番組ホームページの応募フォームから応募しました。
私の名前で私のメールアドレスで、よく勝手のわからないまま応募しました。
番組へのご意見ご感想も忘れずにってホームページに書いてあったので、らっきょう酢を欲しがったのは母ですが私が一生懸命感想を書きました。
母に応募したことを伝えてそれでこの話は終わりました。
終わったと思っていました。
6月23日の夕方、我が家のインターホンがなりました。
私が自分の部屋にいると、母が私に「来たよ!」と言うのです。
何が来たのかさっぱりわからないし、何か頼んだ覚えもなかったので何が来たのか尋ねました。
すると母から「らっきょう酢!」と帰ってきました。
慌てて部屋を出て確認しに行きました。
「当たったの?」と聞く私に母は「これってお金払うんだっけ?」と返してきました。
まさか当たると思っていなかった私は「お金払うやつ頼んじゃったのかな?」と冷静に考えれば値段や支払いの方法なんてなにも記載がなかったから違うことはすぐにわかるのに、親子揃ってプチパニックで訳が分からなくなっていました。
なんだかんだ言いながら母が箱を開けると、ご当選おめでとうございますと書いた紙が出てきました。
そこでやっと当選したものだと確認ができてホッとしました。
そして母が一言。
「どうしよう」
らっきょう漬けるんじゃないのか聞くと漬けないとのこと。
それならなんで欲しがったのか聞くと、テレビで紹介してたほかのらっきょう酢を使った料理を作ってみたかったと。
当たったらっきょう酢は1.8L。
母が作ってみたいと言った料理に使うらっきょう酢の量は150mL。
そりゃどうしようってなりますよね。
でも欲しがったのは母です。
らっきょう酢のプレゼントは何名が貰えるかというと、たったの5名。
倍率がかなり低かったのかもしれませんが、それでもきっと外れた人もいると思うんです。
そういう方になんだか申し訳ない気持ちになりました。
母が欲しがったとはいえ、私も応募したことに責任を感じてレシピを調べたり印刷したりしました。
生姜が漬けられると分かって両親が大喜び。
私は生姜が嫌いなので複雑な気持ちに。
先日母が近所の方に紫玉ねぎを貰ってきました。
これもどうしようねなんて話していたのですが、スライスしてらっきょう酢で漬けました。
最初は戸惑ったものの、蕪や大根なんかも漬けられるしせっかくだからいろいろやってみようと前向きな気持ちになりました。
私は酸っぱい物があまり好きではないのですが、このらっきょう酢は抽選で当たった縁起のいい物なのでしっかり摂取しようと思います。
今までにテレビでのプレゼントに応募したのはめざましじゃんけんのやつを2回だけでした。
母に頼まれて応募したのですが、めざましテレビを見ていない私には感想を書くのが苦痛過ぎて2 回目にしてもう送らないと拒否しました。
今回当たったのは地方局の番組のプレゼントでしたが、それでも当たるなんて全く思っていなかったので本当に驚きました。
昨年末からパズル誌の卓上カレンダー、年末ジャンボ3000円、ココイチのカレースプーン、パズル誌の賞品のギフトカタログ、母にあげた宝くじですが2000円、ロト7で1100円、そしてらっきょう酢。
大きな物は当たっていませんが、それでもいろいろ当たって何事かと思う程です。
この当たりを引き当てているのは運もあるかもしれませんが、おそらく積極的にいろいろなものに応募しているからだと思います。
ロト7の結果を見忘れていることを。
ブログの更新を終えてすぐに確認しました。
5週連続で買ったうちの4週目でした。
6等1100円が当たっていました。
今までにミニロトとロト6を2、3回ずつぐらい買ったことがあったのですが、かすりもしない外れっぷりでした。
なのでロトは向いてないなぁと思っていたのですが、なんとなくロト7を買ってみました。
1口300 円を5週分。
合計1500円です。
そして当選は1100円。
400円のマイナスです。
それでも私はすごく嬉しく感じました。
何しろ初めての当たりですから。
6月17日にテレビ神奈川の番組でらっきょうの特集をしていました。
母と一緒に見ていました。
番組の後半に料理のコーナーがありました。
らっきょうをらっきょう酢で漬けたり、漬けたらっきょうを使った料理をしたり、らっきょう酢を使ってらっきょう以外の物を使った料理を作ったりしていました。
コーナーの最後に、この料理に使ったのと同じらっきょう酢をプレゼントと言っていました。
母が欲しいから応募してと私に言ってきました。
だけど我が家でらっきょうを漬けてるのなんて見たことないし、家族の中で好んで食べるのは母だけだし、本当に欲しいのか疑わしく思いました。
なので2度程本当に欲しいのか念を押して母に聞きました。
母は聞く度に欲しいと揺るぎない気持ちで答えました。
仕方なく私は応募することにしました。
応募締切までの日数にあまり猶予がなかったので、その日の夜に番組ホームページの応募フォームから応募しました。
私の名前で私のメールアドレスで、よく勝手のわからないまま応募しました。
番組へのご意見ご感想も忘れずにってホームページに書いてあったので、らっきょう酢を欲しがったのは母ですが私が一生懸命感想を書きました。
母に応募したことを伝えてそれでこの話は終わりました。
終わったと思っていました。
6月23日の夕方、我が家のインターホンがなりました。
私が自分の部屋にいると、母が私に「来たよ!」と言うのです。
何が来たのかさっぱりわからないし、何か頼んだ覚えもなかったので何が来たのか尋ねました。
すると母から「らっきょう酢!」と帰ってきました。
慌てて部屋を出て確認しに行きました。
「当たったの?」と聞く私に母は「これってお金払うんだっけ?」と返してきました。
まさか当たると思っていなかった私は「お金払うやつ頼んじゃったのかな?」と冷静に考えれば値段や支払いの方法なんてなにも記載がなかったから違うことはすぐにわかるのに、親子揃ってプチパニックで訳が分からなくなっていました。
なんだかんだ言いながら母が箱を開けると、ご当選おめでとうございますと書いた紙が出てきました。
そこでやっと当選したものだと確認ができてホッとしました。
そして母が一言。
「どうしよう」
らっきょう漬けるんじゃないのか聞くと漬けないとのこと。
それならなんで欲しがったのか聞くと、テレビで紹介してたほかのらっきょう酢を使った料理を作ってみたかったと。
当たったらっきょう酢は1.8L。
母が作ってみたいと言った料理に使うらっきょう酢の量は150mL。
そりゃどうしようってなりますよね。
でも欲しがったのは母です。
らっきょう酢のプレゼントは何名が貰えるかというと、たったの5名。
倍率がかなり低かったのかもしれませんが、それでもきっと外れた人もいると思うんです。
そういう方になんだか申し訳ない気持ちになりました。
母が欲しがったとはいえ、私も応募したことに責任を感じてレシピを調べたり印刷したりしました。
生姜が漬けられると分かって両親が大喜び。
私は生姜が嫌いなので複雑な気持ちに。
先日母が近所の方に紫玉ねぎを貰ってきました。
これもどうしようねなんて話していたのですが、スライスしてらっきょう酢で漬けました。
最初は戸惑ったものの、蕪や大根なんかも漬けられるしせっかくだからいろいろやってみようと前向きな気持ちになりました。
私は酸っぱい物があまり好きではないのですが、このらっきょう酢は抽選で当たった縁起のいい物なのでしっかり摂取しようと思います。
今までにテレビでのプレゼントに応募したのはめざましじゃんけんのやつを2回だけでした。
母に頼まれて応募したのですが、めざましテレビを見ていない私には感想を書くのが苦痛過ぎて2 回目にしてもう送らないと拒否しました。
今回当たったのは地方局の番組のプレゼントでしたが、それでも当たるなんて全く思っていなかったので本当に驚きました。
昨年末からパズル誌の卓上カレンダー、年末ジャンボ3000円、ココイチのカレースプーン、パズル誌の賞品のギフトカタログ、母にあげた宝くじですが2000円、ロト7で1100円、そしてらっきょう酢。
大きな物は当たっていませんが、それでもいろいろ当たって何事かと思う程です。
この当たりを引き当てているのは運もあるかもしれませんが、おそらく積極的にいろいろなものに応募しているからだと思います。
2018.06.16
1年ぐらい前から季節を問わずに鼻水に悩まされる日が増えてきました。
1日1回就寝前に飲む鼻炎のお薬と1日3回食後に飲む鼻風邪のお薬が家にありました。
2週間ぐらい前に昼間にくしゃみと鼻水に苦しめられ、少しでも早くどうにかしたかったので1日3回飲むお薬の方を服用し始めました。
すると眠たくなることが多くなり、昼寝をしたのに夜も早く眠れる状態になりました。
それから3日程するとフラフラするようになりました。
そして少し気持ち悪い感覚もありました。
安静にしていれば大丈夫だろうと大人しく過ごして翌日、またしてもフラフラで気持ち悪くなりました。
お昼分まで薬を服用してからなんだか薬のせいな気がしてきました。
薬の箱に入っている説明書を見て、副作用でめまいが起きることがあるということがわかりました。
そしてその時は直ちに服用を中止しなければならないことも。
それからそのお薬の服用はやめて、翌日の夜から1日1回のお薬に変更しました。
するとフラフラと気持ち悪さはすぐになくなりました。
くしゃみと鼻水に悩まされる少し前に両親の結婚記念日がありました。
わりとキリの良い年数なので両親に何かプレゼントをと思いついたのが記念日5日前。
最初は外食に連れていく案と家で食べる用に少しいい物を買ってくる案の2択で悩みました。
しかし父は家でゆっくり食事したいかもしれないと思うと外食ではないかなと思うし、家に何か買ってくるってなると母が結局夕食を用意することになるしと思うと両親どちらにも喜んでもらうというのは難しくてどうするべきか決めかねていました。
何か少しいい物を買ってきて私が夕食を作って片付けもするということで解決できるのですが、それは私がしたくなかったので即却下。
一度全てを考え直して食べ物以外の何かにしようと決めました。
未だに収入のない状態の私には予算があまりありません。
両親は実用性のある物でなければ貰ってもあまり喜ばないので家電が買えたら良かったのですが、喜ばれる家電は私にとっては高価なものとなってしまいます。
考えて考えてやっと出てきた答えが、夢とワクワク感を与えることでした。
この時期は幸運のくーちゃんクジという宝くじが売っていました。
ジャンボ宝くじではないので1等4000万円です。
その分くじ1枚の価格がジャンボより100円安くなっています。
家から1番近い宝くじ売り場でバラ20枚を購入。
ジャンボ宝くじの時は当たると評判の所に買いに行っていたのですが、今回は近場で済ませてしまいました。
というのも、私の吉方に当たるのは近所の売り場の方だからです。
購入の日にちはなるべく縁起の良い日を選びました。
結婚記念日当日、父と母に10枚ずつプレゼントしました。
ジャンボじゃないから1等で4000万円だけどと言って渡したのですが、4000万円で十分だと喜んでくれました。
当たるかなぁなんて少し期待しながら楽しんでくれた時間が両親にあったらいいなと思いました。
6月14日に抽選がありました。
まず父の10枚の確認を頼まれました。
下1桁だけ一致の200円しか当たりませんでした。
10枚買えば必ず当たる額です。
父は200円でもいいやと嬉しそうにしてくれたので良かったです。
そして母にも確認してほしいと言われて確認しました。
父の高額当選にはかすりもしない状態の後だったので確認する私の期待感は薄れていました。
下1桁の当選以外は当たらないだろうと下2桁を見る時に下1桁以外の数字を隠しながら少しずつずらして下2桁目が現れるようにと盛り上げる演出をしながらふざけて確認していました。
当たらない気持ちに心が充満した状態でした。
そして2桁目が半分見えてきたぐらいであれ?となりました。
恐る恐る数字の全体をあらわにするとなんと、下2桁が一致。
当選額は2000円と高額当選とはなりませんでしたが、母と2人でかなり盛り上がりました。
そんなわけで母は2200円の当選になりました。
父と母で合わせて2400円。
我が家の金銭感覚であればランチだったらそこそこいい物が食べられる額です。
だけど両親はそれぞれで当たったお金を管理すると思うので、合計で考えることになんの意味もない訳ですが。
昨年の年末ジャンボで私も下2桁の数字が当たりました。
高額当選はまだしていないのに、運を使い切ってしまったような気持ちになるのは根っからの貧乏性のせいでしょう。
AKBの総選挙が今年もテレビでやっていましたね。
1位が誰かとか特に興味はなく、チャンネルを合わせはしませんでした。
そんなAKBの総選挙については語りません。
見ていないから語れないというのが正確かもしれません。
それならなぜ総選挙の話題に触れたかと。
総選挙がやっている時間に被って裏で2時間。
テレビ東京の路線バスの旅という番組のマドンナが元AKB48の大島麻衣さんだったのです。
なんだか大人のいろんな思惑を感じずにはいられません。
結局それだけの話なので、やっぱり触れなくても良かったかなと思いつつも少しニヤついた出来事ということで触れてしまいました。
1日1回就寝前に飲む鼻炎のお薬と1日3回食後に飲む鼻風邪のお薬が家にありました。
2週間ぐらい前に昼間にくしゃみと鼻水に苦しめられ、少しでも早くどうにかしたかったので1日3回飲むお薬の方を服用し始めました。
すると眠たくなることが多くなり、昼寝をしたのに夜も早く眠れる状態になりました。
それから3日程するとフラフラするようになりました。
そして少し気持ち悪い感覚もありました。
安静にしていれば大丈夫だろうと大人しく過ごして翌日、またしてもフラフラで気持ち悪くなりました。
お昼分まで薬を服用してからなんだか薬のせいな気がしてきました。
薬の箱に入っている説明書を見て、副作用でめまいが起きることがあるということがわかりました。
そしてその時は直ちに服用を中止しなければならないことも。
それからそのお薬の服用はやめて、翌日の夜から1日1回のお薬に変更しました。
するとフラフラと気持ち悪さはすぐになくなりました。
くしゃみと鼻水に悩まされる少し前に両親の結婚記念日がありました。
わりとキリの良い年数なので両親に何かプレゼントをと思いついたのが記念日5日前。
最初は外食に連れていく案と家で食べる用に少しいい物を買ってくる案の2択で悩みました。
しかし父は家でゆっくり食事したいかもしれないと思うと外食ではないかなと思うし、家に何か買ってくるってなると母が結局夕食を用意することになるしと思うと両親どちらにも喜んでもらうというのは難しくてどうするべきか決めかねていました。
何か少しいい物を買ってきて私が夕食を作って片付けもするということで解決できるのですが、それは私がしたくなかったので即却下。
一度全てを考え直して食べ物以外の何かにしようと決めました。
未だに収入のない状態の私には予算があまりありません。
両親は実用性のある物でなければ貰ってもあまり喜ばないので家電が買えたら良かったのですが、喜ばれる家電は私にとっては高価なものとなってしまいます。
考えて考えてやっと出てきた答えが、夢とワクワク感を与えることでした。
この時期は幸運のくーちゃんクジという宝くじが売っていました。
ジャンボ宝くじではないので1等4000万円です。
その分くじ1枚の価格がジャンボより100円安くなっています。
家から1番近い宝くじ売り場でバラ20枚を購入。
ジャンボ宝くじの時は当たると評判の所に買いに行っていたのですが、今回は近場で済ませてしまいました。
というのも、私の吉方に当たるのは近所の売り場の方だからです。
購入の日にちはなるべく縁起の良い日を選びました。
結婚記念日当日、父と母に10枚ずつプレゼントしました。
ジャンボじゃないから1等で4000万円だけどと言って渡したのですが、4000万円で十分だと喜んでくれました。
当たるかなぁなんて少し期待しながら楽しんでくれた時間が両親にあったらいいなと思いました。
6月14日に抽選がありました。
まず父の10枚の確認を頼まれました。
下1桁だけ一致の200円しか当たりませんでした。
10枚買えば必ず当たる額です。
父は200円でもいいやと嬉しそうにしてくれたので良かったです。
そして母にも確認してほしいと言われて確認しました。
父の高額当選にはかすりもしない状態の後だったので確認する私の期待感は薄れていました。
下1桁の当選以外は当たらないだろうと下2桁を見る時に下1桁以外の数字を隠しながら少しずつずらして下2桁目が現れるようにと盛り上げる演出をしながらふざけて確認していました。
当たらない気持ちに心が充満した状態でした。
そして2桁目が半分見えてきたぐらいであれ?となりました。
恐る恐る数字の全体をあらわにするとなんと、下2桁が一致。
当選額は2000円と高額当選とはなりませんでしたが、母と2人でかなり盛り上がりました。
そんなわけで母は2200円の当選になりました。
父と母で合わせて2400円。
我が家の金銭感覚であればランチだったらそこそこいい物が食べられる額です。
だけど両親はそれぞれで当たったお金を管理すると思うので、合計で考えることになんの意味もない訳ですが。
昨年の年末ジャンボで私も下2桁の数字が当たりました。
高額当選はまだしていないのに、運を使い切ってしまったような気持ちになるのは根っからの貧乏性のせいでしょう。
AKBの総選挙が今年もテレビでやっていましたね。
1位が誰かとか特に興味はなく、チャンネルを合わせはしませんでした。
そんなAKBの総選挙については語りません。
見ていないから語れないというのが正確かもしれません。
それならなぜ総選挙の話題に触れたかと。
総選挙がやっている時間に被って裏で2時間。
テレビ東京の路線バスの旅という番組のマドンナが元AKB48の大島麻衣さんだったのです。
なんだか大人のいろんな思惑を感じずにはいられません。
結局それだけの話なので、やっぱり触れなくても良かったかなと思いつつも少しニヤついた出来事ということで触れてしまいました。
2018.06.04
今年の3月末に叔父が亡くなり、5月半ば頃に四十九日がありました。
その前日、私はものすごく体調を崩していました。
なので母に四十九日はどうしても行かなくてはいけないか聞くと、料理のキャンセルができないから絶対に行くように言われました。
運転は父に頼むからと言っていたのですが、運転しなければいいってもんでもないのにと思いました。
中学生の時も38度台の高熱が出ても学校を休ませてもらえませんでした。
休み癖がつくからと。
その時の事やそういった経験が後に私を苦しめることになったことを思い出して悲しい気持ちになりました。
四十九日は辛い思いをしながらもなんとか行きました。
体調も良くなかったし、精神的にも辛くなっていたので1週間程無気力にベッドで横になる日が続きました。
食事もあまりする気になれずに1日1回少量を口にするだけでした。
今は体調も食欲も戻りましたが、何か予定を入れることが怖くてたまりません。
これは4月中の出来事です。
とあるパズル雑誌の当選発表を書店で確認していました。
すると私の苗字に1文字足された苗字を見つけました。
こんな苗字あるんだ、珍しいななんて思いながら1度は素通りしました。
しかしなんだか気になってもう一度その名前を見直してみました。
すると苗字は違ったけれども名前は私と同じでした。
私の名前は平仮名にすると普通なのですが、漢字の組み合わせが少々珍しかったので同じ名前の人なんて珍しいなんて思っていました。
そしてその当選者の住所は神奈川県。
これも私と同じ。
もう一度よく名前を見てみました。
すると私の苗字と名前の間にとある漢字一文字が入り込んでいる状態なことに気付きました。
しかもその入り込んでいる漢字というのが私の名前の変換ミスの可能性が大いにある文字でした。
しかし、私である確証もなかったのでその場で本は買わずに帰ってきました。
その話を母にすると母はその本を購入してきました。
それからしばらく賞品は送られて来なかったのでやっぱり当選したのは私ではなかったのかなと思ったのですが、一応電話で問い合わせをしてみました。
結果、雑誌に載っていた名前は入力ミスで、私が当選していることがわかりました。
パズル誌で賞品が当たるのはこれで5回目です。
自分の名前が雑誌に載るのはとても嬉しいことなのに、それを間違えられてしまったことは悲しく思いました。
けれども間違えた名前を掲載されることの方がより珍しいことだと思い、これはこれで良しとして、本は大切に保管することにしました。
当たったのはカタログギフトでした。
私的に嬉しいやつです。
カタログの内容からすると1000~2000円程度のものを扱っているようでしたので、それほど高価な賞品ではありません。
しかしそれでもかなり嬉しかったです。
母と2人でカタログから欲しいものを選んで、先日届きました。
選んだ商品は福岡の水炊きのお店の親子丼ととり雑炊各2つのものです。
レンジで温めるだけのレトルトのやつです。
あんまり見たことないし、少し変わった商品だったことが選んだ決め手となりました。
まだ食べてはいないのですが、なかなかに立派な箱に詰められていたので期待はしています。
その他にもいろいろと書きたいことはあったのですが、眠れぬ夜を過ごす現在、全てすっかり忘れてしまいました。
今日眠れないのはお昼寝のせいですけれども。
久々のお昼寝はとても心地が良かったです。
その前日、私はものすごく体調を崩していました。
なので母に四十九日はどうしても行かなくてはいけないか聞くと、料理のキャンセルができないから絶対に行くように言われました。
運転は父に頼むからと言っていたのですが、運転しなければいいってもんでもないのにと思いました。
中学生の時も38度台の高熱が出ても学校を休ませてもらえませんでした。
休み癖がつくからと。
その時の事やそういった経験が後に私を苦しめることになったことを思い出して悲しい気持ちになりました。
四十九日は辛い思いをしながらもなんとか行きました。
体調も良くなかったし、精神的にも辛くなっていたので1週間程無気力にベッドで横になる日が続きました。
食事もあまりする気になれずに1日1回少量を口にするだけでした。
今は体調も食欲も戻りましたが、何か予定を入れることが怖くてたまりません。
これは4月中の出来事です。
とあるパズル雑誌の当選発表を書店で確認していました。
すると私の苗字に1文字足された苗字を見つけました。
こんな苗字あるんだ、珍しいななんて思いながら1度は素通りしました。
しかしなんだか気になってもう一度その名前を見直してみました。
すると苗字は違ったけれども名前は私と同じでした。
私の名前は平仮名にすると普通なのですが、漢字の組み合わせが少々珍しかったので同じ名前の人なんて珍しいなんて思っていました。
そしてその当選者の住所は神奈川県。
これも私と同じ。
もう一度よく名前を見てみました。
すると私の苗字と名前の間にとある漢字一文字が入り込んでいる状態なことに気付きました。
しかもその入り込んでいる漢字というのが私の名前の変換ミスの可能性が大いにある文字でした。
しかし、私である確証もなかったのでその場で本は買わずに帰ってきました。
その話を母にすると母はその本を購入してきました。
それからしばらく賞品は送られて来なかったのでやっぱり当選したのは私ではなかったのかなと思ったのですが、一応電話で問い合わせをしてみました。
結果、雑誌に載っていた名前は入力ミスで、私が当選していることがわかりました。
パズル誌で賞品が当たるのはこれで5回目です。
自分の名前が雑誌に載るのはとても嬉しいことなのに、それを間違えられてしまったことは悲しく思いました。
けれども間違えた名前を掲載されることの方がより珍しいことだと思い、これはこれで良しとして、本は大切に保管することにしました。
当たったのはカタログギフトでした。
私的に嬉しいやつです。
カタログの内容からすると1000~2000円程度のものを扱っているようでしたので、それほど高価な賞品ではありません。
しかしそれでもかなり嬉しかったです。
母と2人でカタログから欲しいものを選んで、先日届きました。
選んだ商品は福岡の水炊きのお店の親子丼ととり雑炊各2つのものです。
レンジで温めるだけのレトルトのやつです。
あんまり見たことないし、少し変わった商品だったことが選んだ決め手となりました。
まだ食べてはいないのですが、なかなかに立派な箱に詰められていたので期待はしています。
その他にもいろいろと書きたいことはあったのですが、眠れぬ夜を過ごす現在、全てすっかり忘れてしまいました。
今日眠れないのはお昼寝のせいですけれども。
久々のお昼寝はとても心地が良かったです。