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2019.03.30

頑張らない体験記とブログにタイトルをつけたわけですが、9月頃から頑張らないでいられなくなっていました。
9月に祖母が救急車で運ばれたとの連絡があり、それからというもの母が祖母と叔母が2人で住む家に週に5、6日通うようになりました。
泊まってくることも増えました。
祖母の家までは我が家から遠く、最初のうちは私が車を出すことも多くありました。
私は徐々に疲れが溜まっていき、10月頃からは頻度をだいぶ減らすようにしました。
母には大変だけど、バスと電車で行ってもらうことにして。

昼食と夕食は私も父もそれぞれ自分達でどうにかする日々でした。
私は面倒だったのでだいたい1食しかとっていませんでした。
精神的な不安やストレスであまり食べる気もおきなかったのです。
そんな感じの日々が今年の1月後半ぐらいまで続きました。
その1月後半に、祖母を施設に入れることができたのです。

祖母は数年前から認知症を患っていました。
私の母は早いところ施設に入れようと言っていたのですが、母の妹二人がそれでは祖母が可哀想だとなかなか賛同してくれていませんでした。
しかし祖母が救急車で運ばれて検査して、この先いつ亡くなってもおかしくないと医師に言われたことを期に母の妹達も賛同してくれるようになりました。
祖母は右の頸動脈の一部がかなり狭くなっていたのです。
ちなみに救急車で運ばれた原因はそれとは関係ありませんでした。
医師が言うには、急に明日亡くなるかもしれないし、この先何年も大丈夫かもしれないしわからないと。
そんな状態では祖母と一緒に暮らしている叔母が常に不安で怖いだろうと思いました。
翌朝祖母が起きてこなかったらと思うと夜も眠れないだろうなと。
なので24時間様子を確認してもらえる施設に入れた方が安心できるし、祖母もそれで助かることがあるかもしれないなど理由はいろいろですが、そんなこんなで施設を探し始め、なんとか1月に入居できたのです。

祖母が可哀想という気持ちもわかるし、祖母だってできれば住み慣れた家で身内と一緒にいたいだろうと思うのです。
それでもその情だけではどうにも対応しきれないことが多すぎるのです。
自分の意思でなく施設に入れられる方々は皆さん嫌がるそうです。
ケアマネージャーの方がそう話していたそうです。
でもだんだん慣れてくるとも言っていました。

祖母には施設のことを施設に入れる前日の夜に母が話しました。
話を聞いた祖母が抵抗したり睨めつけたりという行動があると母は思っていたそうなのですが、実際には「そうかい。じゃあここにはもう住めないんだね。」と力なく言っただけだったとのことでした。
話を終えてから母は私に電話でそのことを伝え、泣きながら「これで良かったんだよね?」と聞いてきました。
母が叔母に祖母の反応を伝えた時に叔母も泣いたみたいです。
それもあってなんだかものすごく悪いことをしたような気持ちに母はなったのだと思います。
そんなこんなで母はその日は祖母の家に泊まり、翌日お昼を祖母と一緒に食べてから祖母を施設に入居させて帰ってきました。
祖母は施設に入居することをよくわかっていなかったようで、なかなかに大変だったそうです。
認知症なので、前日母が話したことをもう忘れていたのです。

それから1週間程経った頃に、再び祖母が救急車で運ばれました。
脳梗塞で緊急手術。
それは母と叔母が祖母のいる施設に会いに行ったその帰りのことでした。
母がちょうど自宅に帰ろうという頃合に施設から連絡が来たんだとか。
祖母は施設に入ってからあまり食事をしなかったそうです。
施設に入れられた人の中には家に帰りたいとの抵抗のために食事をしないという行動をとる人もいると聞いていた母と叔母は祖母が食事をしないのを抵抗のためだと思っていました。
しかし祖母は自分がどこにいる状態かもよくわかっていなかったみたいだし、一度私も救急車で運ばれる前に施設にいる祖母のところに行ったのですが、わりと穏やかだったので抵抗のために食事を拒んでいるようには少し考えづらかったのです。
なので母に本当に抵抗なのかと問いかけてみたこともあるのですが、間違いないと言わんばかりの自信で否定されました。
手術は無事に終わってしばらく入院の後にまた施設に戻りました。
それからは食事もちゃんとするようになったそうです。
医師が言うには、脳梗塞の影響で食欲もなかったとのことでした。
それにしても今回の脳梗塞、施設の方が祖母の様子がおかしいことに気づいてくれたことで助かったと思うとやはり施設に入れてよかったなとみんなで思いました。
当の本人の祖母は脳梗塞で手術したことも入院していたことも何も覚えていないようです。
施設に会いに行けば毎回「いつ帰れるの?」と聞くそうです。

介護に関する事柄が社会問題となっていますが、今回の一連のことからこれはかなり深刻な問題なのだと実感しました。
祖母の場合は暴れたりいなくなってしまったりということはなかったのですが、それでも大変でした。
テレビ等でも介護うつにならないためには周りの人に頼りましょうというようなことを言っていたりしますが、全くその通りだと思います。
他人に任せてしまうなんて自分はひどいことをしているとか親に申し訳ないとか思わなくて良いと思います。
施設に入れるのは可哀想と頑張ってしまっている叔母を見てそう思いました。
叔母には叔母の人生を生きてほしいと。
施設に入れることは捨てることではないし、悪いことではないのです。
施設に入れたってたまに元の家で過ごすことだってできるのですから。
1人で頑張って介護をしている方がいたら、どこかに相談してみるか介護経験者の話を聞いてみるのが良いと思います。
今はそういった介護に関するコミュニティもあるみたいで、そこに行くようになってから気が楽になったという方もいるみたいです。

話はこのブログについてになるのですが、頑張らない体験ができずにいて、今後もそれが難しくなりそうなのです。
なのでもう頑張らない体験記という名で続けていくことはやめようと思っています。
ブログ自体をやめるか、タイトルを変えて適当に思ったことを書くか。
多分やめるかな。
ここ1年程、生活がゴタゴタしていたこともあって気付けば仕事を辞めてまる3年が過ぎてしまっていました。
仕事もアルバイトやパートで探そうと思っていて、それも近々できたらなぁと。
先月心療内科でのお薬が増えてしまって、それから副作用で眠たいことが多くてやっと生活が落ち着いたのに何もできないでいます。
今月の心療内科の時にそのことを先生に話したのですが、もう少しゆっくりした方が良いと言われまた来月までは眠たいことが多そうです。
だけど次々と親戚に何かがおこっていた昨今のことを考えると、このタイミングを逃したくないとも思うわけです。
8月上旬に駐車場に停めていた車をぶつけられてゴタゴタしたり、昼食直前の真昼間の太陽の下で現場に行って話を聞いてそれからいろんな対応で体力も時間も奪われてようやく落ち着いた8月の下旬に仕事を探し始めて目星をつけた所での祖母の救急車の一件。
そうして逃した仕事のタイミングのことを考えると焦る気持ちも出てしまいます。

このブログはしばらくとっておきます。
気まぐれで何か書くかもしれないし、消えるかもしれません。
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コメント

兎に角、ゆっくりお休みくださいね。

334えいしんです。

お久しぶりです。

きっと、色々な事があったのだな~、と感じていました。
でも、こうして、再び、お会いできて、とっても安心しました。
私も、お恥ずかしい話、実質、「月一ブログ」です。
ですので、書きたいときに「書く」ので、良いと感じます。

私は、自分がのんびり屋なので、1年でも2年でも、
今回の様に、ちょこちょこ、拝見しに来ます(;笑)。

今回のコメントも、返信無しで「OK」ですので、「何かしなきゃ」
的なマイナス思考にならないで頂ければ、幸いです。

それでは、お疲れさまでした。

Re: 兎に角、ゆっくりお休みくださいね。

コメントありがとうございます。
まさか読んでくださっていたとは。
嬉しい驚きです。

一つ何かが起こるとしばらく何かが起こり続けるようで忙しくしていました。
無理をしなかったがために返信がこんなに遅れてしまいました。

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プロフィール

nat225

Author:nat225
2016.02.15日にうつ病により退職。
2016.09.06に頑張らないで生きていこうと決めました。
好きな時に好きな事をしています。
2018.03末頃より頑張らないことが無理な状況になりました。
2019.05.18にブログのタイトルを「頑張らない体験記」から「頑張らない体験断念記」に変更しました。

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