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2018.06.28

先日当たったらっきょう酢で漬けた紫玉ねぎはかつお節と醤油をかけて食べました。
それを父がえらく気に入ったようでパクパク食べていました。
生姜を漬けた方は今日の時点ではまだ漬かりが浅かったみたいなのですが、両親共に満足していました。
私は生姜が嫌いで食べていないのでわからないのですが。
らっきょう酢を欲しいと言ったのが母で応募したのが私、だけどらっきょう酢で漬けたものを1番嬉しそうに食べているのが父です。

私には少々戸惑っていることがあります。
最近いろんなものに応募したり宝くじをよく買ったりしているので高額、高価なものではないけれどもよく当たるようになりました。
そして今日買ったパズル雑誌。
名前が乗っていました。
長崎五黒カステラが当たりました。
さすがに当たる頻度が高すぎると思うのです。
自分に何が起きているのか。
それほど素晴らしい行いをした覚えもなければ風水だったりパワースポットだったりそういったことにも触れていません。
良いことが起こる前兆というのを調べてみましたが、該当する事柄に記憶がありません。
ちなみに今回当たったカステラはネットで調べたところ、3000円ぐらいするみたいです。
350gが2本の容量です。
最近当てたものの中では一番高価です。
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2018.06.27

前回母にプレゼントした幸運のくーちゃんクジで2000円の当たりがあったとの話をして思い出しました。
ロト7の結果を見忘れていることを。
ブログの更新を終えてすぐに確認しました。
5週連続で買ったうちの4週目でした。
6等1100円が当たっていました。
今までにミニロトとロト6を2、3回ずつぐらい買ったことがあったのですが、かすりもしない外れっぷりでした。
なのでロトは向いてないなぁと思っていたのですが、なんとなくロト7を買ってみました。
1口300 円を5週分。
合計1500円です。
そして当選は1100円。
400円のマイナスです。
それでも私はすごく嬉しく感じました。
何しろ初めての当たりですから。

6月17日にテレビ神奈川の番組でらっきょうの特集をしていました。
母と一緒に見ていました。
番組の後半に料理のコーナーがありました。
らっきょうをらっきょう酢で漬けたり、漬けたらっきょうを使った料理をしたり、らっきょう酢を使ってらっきょう以外の物を使った料理を作ったりしていました。
コーナーの最後に、この料理に使ったのと同じらっきょう酢をプレゼントと言っていました。
母が欲しいから応募してと私に言ってきました。
だけど我が家でらっきょうを漬けてるのなんて見たことないし、家族の中で好んで食べるのは母だけだし、本当に欲しいのか疑わしく思いました。
なので2度程本当に欲しいのか念を押して母に聞きました。
母は聞く度に欲しいと揺るぎない気持ちで答えました。
仕方なく私は応募することにしました。
応募締切までの日数にあまり猶予がなかったので、その日の夜に番組ホームページの応募フォームから応募しました。
私の名前で私のメールアドレスで、よく勝手のわからないまま応募しました。
番組へのご意見ご感想も忘れずにってホームページに書いてあったので、らっきょう酢を欲しがったのは母ですが私が一生懸命感想を書きました。
母に応募したことを伝えてそれでこの話は終わりました。
終わったと思っていました。

6月23日の夕方、我が家のインターホンがなりました。
私が自分の部屋にいると、母が私に「来たよ!」と言うのです。
何が来たのかさっぱりわからないし、何か頼んだ覚えもなかったので何が来たのか尋ねました。
すると母から「らっきょう酢!」と帰ってきました。
慌てて部屋を出て確認しに行きました。
「当たったの?」と聞く私に母は「これってお金払うんだっけ?」と返してきました。
まさか当たると思っていなかった私は「お金払うやつ頼んじゃったのかな?」と冷静に考えれば値段や支払いの方法なんてなにも記載がなかったから違うことはすぐにわかるのに、親子揃ってプチパニックで訳が分からなくなっていました。
なんだかんだ言いながら母が箱を開けると、ご当選おめでとうございますと書いた紙が出てきました。
そこでやっと当選したものだと確認ができてホッとしました。
そして母が一言。
「どうしよう」
らっきょう漬けるんじゃないのか聞くと漬けないとのこと。
それならなんで欲しがったのか聞くと、テレビで紹介してたほかのらっきょう酢を使った料理を作ってみたかったと。
当たったらっきょう酢は1.8L。
母が作ってみたいと言った料理に使うらっきょう酢の量は150mL。
そりゃどうしようってなりますよね。
でも欲しがったのは母です。
らっきょう酢のプレゼントは何名が貰えるかというと、たったの5名。
倍率がかなり低かったのかもしれませんが、それでもきっと外れた人もいると思うんです。
そういう方になんだか申し訳ない気持ちになりました。
母が欲しがったとはいえ、私も応募したことに責任を感じてレシピを調べたり印刷したりしました。
生姜が漬けられると分かって両親が大喜び。
私は生姜が嫌いなので複雑な気持ちに。
先日母が近所の方に紫玉ねぎを貰ってきました。
これもどうしようねなんて話していたのですが、スライスしてらっきょう酢で漬けました。
最初は戸惑ったものの、蕪や大根なんかも漬けられるしせっかくだからいろいろやってみようと前向きな気持ちになりました。
私は酸っぱい物があまり好きではないのですが、このらっきょう酢は抽選で当たった縁起のいい物なのでしっかり摂取しようと思います。

今までにテレビでのプレゼントに応募したのはめざましじゃんけんのやつを2回だけでした。
母に頼まれて応募したのですが、めざましテレビを見ていない私には感想を書くのが苦痛過ぎて2 回目にしてもう送らないと拒否しました。
今回当たったのは地方局の番組のプレゼントでしたが、それでも当たるなんて全く思っていなかったので本当に驚きました。
昨年末からパズル誌の卓上カレンダー、年末ジャンボ3000円、ココイチのカレースプーン、パズル誌の賞品のギフトカタログ、母にあげた宝くじですが2000円、ロト7で1100円、そしてらっきょう酢。
大きな物は当たっていませんが、それでもいろいろ当たって何事かと思う程です。
この当たりを引き当てているのは運もあるかもしれませんが、おそらく積極的にいろいろなものに応募しているからだと思います。

2018.06.16

1年ぐらい前から季節を問わずに鼻水に悩まされる日が増えてきました。
1日1回就寝前に飲む鼻炎のお薬と1日3回食後に飲む鼻風邪のお薬が家にありました。
2週間ぐらい前に昼間にくしゃみと鼻水に苦しめられ、少しでも早くどうにかしたかったので1日3回飲むお薬の方を服用し始めました。
すると眠たくなることが多くなり、昼寝をしたのに夜も早く眠れる状態になりました。
それから3日程するとフラフラするようになりました。
そして少し気持ち悪い感覚もありました。
安静にしていれば大丈夫だろうと大人しく過ごして翌日、またしてもフラフラで気持ち悪くなりました。
お昼分まで薬を服用してからなんだか薬のせいな気がしてきました。
薬の箱に入っている説明書を見て、副作用でめまいが起きることがあるということがわかりました。
そしてその時は直ちに服用を中止しなければならないことも。
それからそのお薬の服用はやめて、翌日の夜から1日1回のお薬に変更しました。
するとフラフラと気持ち悪さはすぐになくなりました。

くしゃみと鼻水に悩まされる少し前に両親の結婚記念日がありました。
わりとキリの良い年数なので両親に何かプレゼントをと思いついたのが記念日5日前。
最初は外食に連れていく案と家で食べる用に少しいい物を買ってくる案の2択で悩みました。
しかし父は家でゆっくり食事したいかもしれないと思うと外食ではないかなと思うし、家に何か買ってくるってなると母が結局夕食を用意することになるしと思うと両親どちらにも喜んでもらうというのは難しくてどうするべきか決めかねていました。
何か少しいい物を買ってきて私が夕食を作って片付けもするということで解決できるのですが、それは私がしたくなかったので即却下。
一度全てを考え直して食べ物以外の何かにしようと決めました。
未だに収入のない状態の私には予算があまりありません。
両親は実用性のある物でなければ貰ってもあまり喜ばないので家電が買えたら良かったのですが、喜ばれる家電は私にとっては高価なものとなってしまいます。
考えて考えてやっと出てきた答えが、夢とワクワク感を与えることでした。
この時期は幸運のくーちゃんクジという宝くじが売っていました。
ジャンボ宝くじではないので1等4000万円です。
その分くじ1枚の価格がジャンボより100円安くなっています。
家から1番近い宝くじ売り場でバラ20枚を購入。
ジャンボ宝くじの時は当たると評判の所に買いに行っていたのですが、今回は近場で済ませてしまいました。
というのも、私の吉方に当たるのは近所の売り場の方だからです。
購入の日にちはなるべく縁起の良い日を選びました。
結婚記念日当日、父と母に10枚ずつプレゼントしました。
ジャンボじゃないから1等で4000万円だけどと言って渡したのですが、4000万円で十分だと喜んでくれました。
当たるかなぁなんて少し期待しながら楽しんでくれた時間が両親にあったらいいなと思いました。
6月14日に抽選がありました。
まず父の10枚の確認を頼まれました。
下1桁だけ一致の200円しか当たりませんでした。
10枚買えば必ず当たる額です。
父は200円でもいいやと嬉しそうにしてくれたので良かったです。
そして母にも確認してほしいと言われて確認しました。
父の高額当選にはかすりもしない状態の後だったので確認する私の期待感は薄れていました。
下1桁の当選以外は当たらないだろうと下2桁を見る時に下1桁以外の数字を隠しながら少しずつずらして下2桁目が現れるようにと盛り上げる演出をしながらふざけて確認していました。
当たらない気持ちに心が充満した状態でした。
そして2桁目が半分見えてきたぐらいであれ?となりました。
恐る恐る数字の全体をあらわにするとなんと、下2桁が一致。
当選額は2000円と高額当選とはなりませんでしたが、母と2人でかなり盛り上がりました。
そんなわけで母は2200円の当選になりました。
父と母で合わせて2400円。
我が家の金銭感覚であればランチだったらそこそこいい物が食べられる額です。
だけど両親はそれぞれで当たったお金を管理すると思うので、合計で考えることになんの意味もない訳ですが。
昨年の年末ジャンボで私も下2桁の数字が当たりました。
高額当選はまだしていないのに、運を使い切ってしまったような気持ちになるのは根っからの貧乏性のせいでしょう。

AKBの総選挙が今年もテレビでやっていましたね。
1位が誰かとか特に興味はなく、チャンネルを合わせはしませんでした。
そんなAKBの総選挙については語りません。
見ていないから語れないというのが正確かもしれません。
それならなぜ総選挙の話題に触れたかと。
総選挙がやっている時間に被って裏で2時間。
テレビ東京の路線バスの旅という番組のマドンナが元AKB48の大島麻衣さんだったのです。
なんだか大人のいろんな思惑を感じずにはいられません。
結局それだけの話なので、やっぱり触れなくても良かったかなと思いつつも少しニヤついた出来事ということで触れてしまいました。

2018.06.04

今年の3月末に叔父が亡くなり、5月半ば頃に四十九日がありました。
その前日、私はものすごく体調を崩していました。
なので母に四十九日はどうしても行かなくてはいけないか聞くと、料理のキャンセルができないから絶対に行くように言われました。
運転は父に頼むからと言っていたのですが、運転しなければいいってもんでもないのにと思いました。
中学生の時も38度台の高熱が出ても学校を休ませてもらえませんでした。
休み癖がつくからと。
その時の事やそういった経験が後に私を苦しめることになったことを思い出して悲しい気持ちになりました。
四十九日は辛い思いをしながらもなんとか行きました。
体調も良くなかったし、精神的にも辛くなっていたので1週間程無気力にベッドで横になる日が続きました。
食事もあまりする気になれずに1日1回少量を口にするだけでした。
今は体調も食欲も戻りましたが、何か予定を入れることが怖くてたまりません。

これは4月中の出来事です。
とあるパズル雑誌の当選発表を書店で確認していました。
すると私の苗字に1文字足された苗字を見つけました。
こんな苗字あるんだ、珍しいななんて思いながら1度は素通りしました。
しかしなんだか気になってもう一度その名前を見直してみました。
すると苗字は違ったけれども名前は私と同じでした。
私の名前は平仮名にすると普通なのですが、漢字の組み合わせが少々珍しかったので同じ名前の人なんて珍しいなんて思っていました。
そしてその当選者の住所は神奈川県。
これも私と同じ。
もう一度よく名前を見てみました。
すると私の苗字と名前の間にとある漢字一文字が入り込んでいる状態なことに気付きました。
しかもその入り込んでいる漢字というのが私の名前の変換ミスの可能性が大いにある文字でした。
しかし、私である確証もなかったのでその場で本は買わずに帰ってきました。
その話を母にすると母はその本を購入してきました。
それからしばらく賞品は送られて来なかったのでやっぱり当選したのは私ではなかったのかなと思ったのですが、一応電話で問い合わせをしてみました。
結果、雑誌に載っていた名前は入力ミスで、私が当選していることがわかりました。
パズル誌で賞品が当たるのはこれで5回目です。
自分の名前が雑誌に載るのはとても嬉しいことなのに、それを間違えられてしまったことは悲しく思いました。
けれども間違えた名前を掲載されることの方がより珍しいことだと思い、これはこれで良しとして、本は大切に保管することにしました。
当たったのはカタログギフトでした。
私的に嬉しいやつです。
カタログの内容からすると1000~2000円程度のものを扱っているようでしたので、それほど高価な賞品ではありません。
しかしそれでもかなり嬉しかったです。
母と2人でカタログから欲しいものを選んで、先日届きました。
選んだ商品は福岡の水炊きのお店の親子丼ととり雑炊各2つのものです。
レンジで温めるだけのレトルトのやつです。
あんまり見たことないし、少し変わった商品だったことが選んだ決め手となりました。
まだ食べてはいないのですが、なかなかに立派な箱に詰められていたので期待はしています。

その他にもいろいろと書きたいことはあったのですが、眠れぬ夜を過ごす現在、全てすっかり忘れてしまいました。
今日眠れないのはお昼寝のせいですけれども。
久々のお昼寝はとても心地が良かったです。

2018.04.16

長引く体調不良によりまたしても更新が遅れました。
この体調不良の原因は3月22日に遡ります。

3月21日の春分の日。
この日は雪が降るほどの寒さにみまわれました。
翌日の3月22日も前日の気候を引きずり午前中は雨が降っていました。
この日はお彼岸ということで、両親と共にお墓参りに行きました。
30km程離れたお墓まで私が運転していきました。
雨も降り気温も低く、車の窓ガラスは曇っていました。
車内は寒かったけれども暖房をつければ更にガラスが曇ってしまうのでつけられずにいました。
父方と母方のお墓はどちらもそう離れていないので1日で2ヶ所まわります。
どちらも少々雨が降った状態でのお墓参りになりました。
帰り道の途中で昼食をとりました。
お店に着いたのは11時30分頃でした。
昼食をとって体も温まり、そこからはまっすぐ帰ることに。
車に乗って数分で空は明るくなり日が出てきました。
自宅まではまだ25kmは離れた地点。
運転席の私に直射日光が刺さります。
暑くて仕方がありません。
そんなこんなで帰宅。
この日は何事もなく1日を終えました。

翌日からなんだか体調がおかしい感じがしていました。
一日中眠たかったり、眠たいのに3、4時間で目が覚めて長く眠っていられなかったり、やたらと寝汗をかいていたりと。
倦怠感もあったのでなるべく自宅で安静にして過ごすようにしていました。
恐らくお墓参りの一日の寒暖差で自律神経がおかしくなったものだと思います。

3月29日。
この日もまだ体調が優れずにいて、20時には眠たくなって眠ってしまいました。
眠っていると自宅の固定電話の鳴り響く音で目覚めました。
朝かと思いきやまだ23時半。
こんな時間に電話がかかってくるのはとても珍しく、気になったので母が電話を終えるまで起きていることにしました。
電話の内容は、叔父の心臓が止まって救急車で運ばれたとのことでした。
叔父というのは母の妹の旦那さんに当たる方なので、母が病院に駆けつけることにしました。
この時間ではもうバスや電車で行くことはできません。
運転免許を持っているのは父と私。
父は翌日仕事である上に飲酒もしていたので運転は無理です。
私も体調が悪かったので母はタクシーで行くと言いました。
病院までは30kmは離れています。
タクシーで行ったらいくらかかるかわかりません。
というわけで、私が運転することになりました。
しんどい体をなんとか動かして23時45分に家を出ました。
運転している途中のまだ日付が変わる前の時間に母の携帯がなりました。
叔父が亡くなったとの連絡でした。
そのまま病院に向かい、病院に着くと霊安室の場所を教えられました。
叔母は警察から叔父が亡くなった状況について聞かれていました。
次男は涙目で真っ赤になっていました。
叔父のいる部屋に入ると長男がただじっと叔父を見つめていました。
この長男と会うのは恐らく10年ぶりだと思います。
同い年で幼い頃から会えば楽しく遊ぶ仲でした。
その従兄弟との久しぶりの再会がこんな形であることにとても残念な気持ちになりました。
叔父のいる部屋から出てしばらくなんの待ち時間かよく分からない待ち時間を過ごしていました。
ただひたすら無言で座って待っていました。
叔母が警察から叔父が倒れた時の状況を聞かれているのが耳に入りました。
冷静に淡々と答える叔母。
警察官も一切情をかけることもなく淡々と聴取。
事件性の有無が重要なポイントになるのでしょう。
叔父が咳をしだして嘔吐をするようになっという話の時のことです。
警察官はなぜその時すぐに救急車を呼ばなかったのかと何度も叔母に詰め寄るような物言いで責め立てるように質問をしていました。
激しい咳をしていた叔父は叔母が救急車呼ぶよといった言葉に何も答えられない状態だったらしく、叔母も判断を迷ったのでしょう。
実際に咳と嘔吐の状態を見てすぐに救急車を呼ぶという判断に至ることが普通なのでしょうか。
私が同じ状況でもこの状態ではまだ呼ばなかったと思います。
しかし警察官は何度もなぜすぐ呼ばなかったのかと聞くものですから叔母が不憫で仕方なく思えました。
この先叔母は自分があの時早く救急車を呼んでいればとか自分のせいでこうなってしまったとか自分を責め続けることになるのかと思うととてもいたたまれない気持ちになりました。
事件性の有無は大事なことかもしれませんが、もし事件ではなかった時の叔母の心情は考慮してもらえないものかと。
全ての警察官が同じようなやり取りをするのかはわかりませんが、なんだかすごく嫌な気持ちになりました。
同情してほしいとも思わないし事務的な対応であってもいいと思うけれども、あのような対応の仕方はやはり受け入れられません。
後に叔父の遺体は別の場所へ移されて私と母は家路に着きました。
帰宅したのは3月30日の午前3時でした。
3時間しか眠っていなかったのですが、なんだか気が張って眠れずにいたので起きたまま朝を迎えました。
後に叔父の死因はおそらく大動脈解離だろうという連絡がきました。
事件性はありません。

体調が優れない中で夜中に遠出して、更にその状況が状況であったので体調が良くなるわけもありません。
そのまま良くない体調を引きずって4月2日にお通夜、4月3日に告別式となりました。
お通夜までの間にも色々と用意しなければいけなかったのでバタバタしていました。

4月2日のお昼過ぎに家を出て叔父、叔母夫婦の住む家へ。
叔父の遺体は1階にありました。
お線香をあげて2階へ。
従兄弟の子供達がいて賑やかで、1階とは違う世界のようでした。
私はすぐに子供達と仲良くなれたので、そこから私は子守り要因でした。
納棺式は子供達も一緒でなんだか賑やかな式になっていました。
みんなが笑顔になってしまうような納棺式に多少の違和感はありつつも、このような見送られ方はそれはそれで幸せだろうとも思いました。
子供たちだけでなく、福岡から戻ってきた叔父の3番目の子供である私の従姉妹もやらかしてくれました。
叔母はその時に叔父がニッと笑った気がしたと言っていました。
明るい納棺式でした。
それからしばらくしてからお通夜の会場へ。
私はこの日突然会計の手伝いを頼まれました。
結構な人数の方がいらっしゃるとのことでお手伝いが足りなかったみたいです。
なんの心構えもしていなかったのですが、やらないわけにはいきません。
なんとかやりきりました。
3人でやりました。
1人は両親と同世代の女性、1人は叔父の同級生ということなので両親よりは少し年上と思われる男性が一緒でした。
なんだか両極端なタイプと思われるお二人に挟まれながらも着々と作業もできてコミュニケーションもばっちりとれて、社会復帰できる自信が少しつきました。
2年以上仕事から離れて色々とダメになっているかと思っていたのですが、そう何も衰えていませんでした。
無事にお通夜を終えて21時半頃に帰宅。
この日の運転は私でしたが、翌日は父がしてくれるということで疲れはありましたがもう一日耐えられると思いました。

4月3日告別式。
午前9時に家を出て葬儀場へ。
この日は何も頼まれなかったので場内の親族側の席に座っていました。
物心ついてからこの位置に座るのは初めてでした。
叔父との最後のお別れと棺桶が開けられて叔父の姿が見えた瞬間に叔母は声を上げて泣き始めました。
親戚の女性陣はみんな泣いていました。
ただ1人私を除いて。
私はなんだか遠くからその様子を見ているような感じだったのです。
叔母や従兄弟達に感情移入すれば涙も出たと思います。
でもそうはならなかったのです。
その時は人間は誰しもいつか死ぬのは誰しもわかっているのに一緒になることを決めたのだから仕方ないのではないかと思ってしまったのです。
もちろん子供の側は何も選べないまま生まれてきたのであるから仕方がないとは思いませんが、私はこういう悲しい思いをするのが嫌だというのも理由として結婚をしたくないと思っているのです。
私が先に死んでしまったとしてもその後に苦労はかけるだろうしましてや子供もいたらその子供達もと思うとやはり結婚も出産も私はしたくないと思うのです。
私はマイナスのことがあってもプラスの方が大きければいいと思えるタイプではないのです。
マイナスのことがなくなるのならプラスのことなんてなくてもいい、そう思うタイプなのです。
だからといって結婚したり子供を持ったりする人を否定しているわけではありません。
人それぞれ向き不向きがあるというだけのことです。
さて、告別式の後は火葬場へ。
ここへも物事ついてからは初めて行きました。
火葬の最中は控え室で軽食が出ていたのでそれを軽くつまみながら待っていました。
1時間半ほどで火葬終了のお知らせがありました。
指示された場所に行くといくつもの骨が見に映りました。
長いお箸で2人1組で骨壷に骨を入れていきました。
全員が終わり、係の人が説明の必要な骨に関してはどこの骨かと言いながら骨壷へ移していきました。
私は骨を見て、善人も悪人もどんな人でも最後はこうなるんだなと実感しました。
そう思った時に自分が頑張っても頑張らなくても行き着く先は変わらないんだし、それなら無理しないでただただ死ぬまでの時間を生きていればいいのだと考えました。
何したって最後は同じですから。
葬儀場に戻り初七日。
すでにクタクタではありましたが、最後までしっかりと立ち会いました。
その後に食事が出て、帰宅すると19時過ぎ。
長い一日でした。
と終わればよかったのですが、予想よりも大幅に帰宅が遅れたことによって弟が電車で荷物を持って帰宅ラッシュのさなか一人暮らしの家に帰るのは困難という状況になっていました。
翌日弟は仕事ということもあり、私が車で送っていくことになりました。
弟の家までは30km程。
先程から30km離れているとこが多いですが、弟の家は全然違う方角です。
弟の家に着いたらそのまま帰宅。
もう何時だったか覚えていません。
とにかく疲れました。
そこまで疲れるのには1つ大きな理由があるのです。
それは靴です。
私の足のサイズが小さすぎて靴屋さんに私に合う靴が置いていません。
なので靴屋さんにある1番小さいサイズに中敷きを入れて対処しています。
元々横幅も狭めの靴を選んでいて、更に中敷で上下幅も狭くなっているので足が窮屈で痛いのです。
足が締め付けられていることにより、ももやふくらはぎにも影響します。
更に血行も悪くなっているのでたまにフラついたりもしました。
靴を履き替えてもいいタイミングになれば普段の靴に変えていたのですが、告別式の時にはそのタイミングがなかなかなくてかなりしんどかったです。

告別式の翌朝、鼻の奥近くの喉に痛みがありました。
風邪引いたかなと思ってその日一日自宅で安静に。
翌朝上顎の辺りに痛みが広がりこれは風邪のひきはじめだと確信したのでこの日から市販の風邪薬を飲むことにしました。
するとその翌朝には喉の痛みは軽くなっていました。
しばらくはほとんど横になって過ごす日が続きました。
風邪薬を飲むといつも知らない間に眠っていました。
朝も寝て昼も寝て夜も寝てと。
風邪薬も1箱飲み終えてそれからは飲むのをやめました。
1箱飲んでも完全に治りはしなかったのでこれ以上の効果は期待出来ないと思ったのです。
それからどれぐらい経ったかわかりませんが、未だに体調は良くありません。
喉が痛い日もあれば鼻水が止まらない日もあります。
お腹も2 回壊していて胃痛もありました。
体のあらゆるところの疲労が回復しません。
寝ても休んでも何しても。
こんな状態で四十九日も行くことになってしまいました。
一度は母が私は靴が合わないとの理由で両親だけで行くと断ったのですが、叔母に私も来てほしいと言われて行くことに。
こういう事で来てほしいと言われて靴を理由に断ることができるでしょうか。
私が行くのを躊躇した理由は本当に靴の問題だけなのです。
その靴によって引き起こされた現状をまた繰り返すことが怖いのです。
ただそれだけの理由であればやはり断れません。
けれどもやはり緊張の糸は切れることなく今も張り続けています。
プロフィール

nat225

Author:nat225
2016.02.15日にうつ病により退職。
2016.09.06に頑張らないで生きていこうと決めました。
好きな時に好きな事をしています。

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